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学習ログ Archive
「Web担当者が最低限押さえておくべきデザイン発注の技術」振り返り
- 2010年3月 2日 05:32
- 学習ログ
先月の片山さんの「デザイン依頼の方法論」からちょうど1ヶ月、今月はウジトモコさんの「初級アートディレクション講座 ~Web担当者が最低限押さえておくべきデザイン発注の技術~」に参加してきました。双方の参加募集時期が近く、タイトルとかなどから想像するに内容がすごくかぶるかと思いきや、かなり違ってました。
ようやくですが復習がてらちょいと詳細に内容レビュー。
基本は、アートディレクションによってサイト・商品・企業のブランドアイデンティティーを際立たせていくことの重要性と、そのための「技術」を解説するといった内容。
手始めに、アートディレクターとは何する者ぞといった役割の変遷を解説。1980年代辺りの販促キャンペーンのポスター作る人と言った辺りから、やがて2000年あたりのクロスメディアキャンペーン戦略を演出する役、そして2005年辺りからコミュニケーションやマーケティングなどへと守備範囲が広がってきたと解説。
そして、自由が丘のロールケーキ屋2件の看板商品の事例としたブランド差別化のためのアートディレクション戦略を解説。
ほかご自身の事例として、日本酒のパッケージデザイン受注から商品企画に遡ってコンセプトの明確化からしきり直した件の紹介。狭いところに深く刺さるように狙い他とは違うクラス感を演出することで、価格を下げなくても売れる商品を目指しているという例。
こういった方向付け=ディレクションの「手法」として、マトリクスによってポジショニングの絞り込み・確認し、そして「トンマナ・ヘキサゴン」でデザイン戦略を絞り込んでいく。
どちらもご自身の著書「売れるデザインの仕組み - トーン・アンド・マナーで魅せるブランドデザイン」にて解説されていますがとくに「トンマナ・ヘキサゴン」について。
デザインの要素を 色・モチーフ・タイプフェイス・テキスチャ・バランス・フォーム の6つに分類して、どの要素に注力することで効率よく戦略的コンセプトを視覚化していくかを表すもの。求められている「タイプ」によって注力要素を絞り込むとのこと。
ここでの事例は、安定した基礎技術とともに技術開発力をもつ会社のサイトリニューアルをきっかけに会社のロゴまで変えた例。シンプルな「センスのよさ」を狙うために「色・タイプフェイス・バランス」を重視したデザインに方向付けている。最低限これを押さえればムダに作り込まなくても表現したい意図が達成できるとのこと。(著書内では他のタイプの事例も紹介されてます)
「デザイン」を長期的視点でとらえ、できるだけ上流からアートディレクターを巻き込んでいくことが成功のこつだよ、といったシメでした。
質疑応答で覚えているのは、以下こんなところ。
- Q: アートディレクターのアシスタントやってるんだけどデザイナーのモチベーションが低いためかクオリティがよくない。上司はあまり細かい指示はするなといってるがそれではクオリティが低くてどうしても細かい指示をしたくなる。こんなときどうすれば?
- A: 成果物に細かく赤を入れるのだと双方ヤになっちゃうので、もう最初のうちから細かく指定をするのがよいのでは。案件がデザイナーの得意分野からはずれているなら、他の案件ではのびのびやってもらうなどしてモチベーションを保ってもらうとか。
- Q: Web担だけどブランドの世界観を保つために余白のバランスに配慮したいがコンテンツオーナーに理解されない、空いているならコレのせろといわれる。こんなときどう説得する?
- A: 長期的に啓蒙あるのみかな。
- Q: SEに近いことをやっていてデザインしていも自分でするけど、いつも同じになってしまう。印象を変えるためにはどうすれば?
- A: まずは配色から変えてみるのがよいのでは。
# この質問した奴は...! とピンときたら110番
というわけでターゲットは、タイトルにある「Web担当者」の想定として、発注の最前線で各部署調整の板挟みになっている立場というよりは、戦略や企画などの裁量権のある立場という感じ。戦略企画と聞くと実権ありそうだが中小の組織だと戦略から最前線まで十把ひとからげて一人でまかされてる例も多そうですしね。
一言突っ込みを入れておくとするなら、「技術(テクニック)」じゃなくて「ロジック」ではないかと思うなり。その他詳細な考察は長くなるので後日にでも。
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「デザイン依頼の方法論」振り返り
- 2010年1月25日 18:20
- 学習ログ
デザイナーとのやり取りにおける挫折感あふれたとある人のつぶやきがきっかけ?で、片山さんが開催された「デザイン依頼の方法論」に参加しました。
片山さん入れて参加者10人。少人数の勉強会は、ことのほか濃くて刺さりますね。心底面白かったです。主催の片山さん、そして参加の皆様、ありがとうございました。
当日のスライド資料を片山さんが公開してくださってます。以下復習がてら概要をまとめました。
「プロジェクトにおいて的確なビジュアルデザインにたどり着くにはどうすればいいか?を考察する。」
これを、問題が発生する状況を二つのケースに切り分け、フルセットのデザインプロセス/タスクに照らし合わせていて「どこが足りないから問題が起きるの?」が明らかにされています。
- ■ 発注側にゴールが見えていないとき
- ->抽象的なコンセプトを具体的なビジュアルデザインに練り上げていくプロセスを知る(共有する)ことで、組織としてのゴールと判断基準を形成しようよ
- ■ 発注側でゴールが見えているとき
- ->上記のプロセスのなかで不足しているアートディレクションのタスクの分担を明確にしようよ
以前のWebsigでも思ったことだけれど、片山さんはロジカルに解くのがうまいですね。論理的な考察ってのは混沌の中に光の筋をさします。
混沌から解を導くには、天から蜘蛛の糸が垂れてくるのを待つんでもなければ、福引きのガラガラでアタリ玉が出てくるのを待つんでもないならば、状況を整理して論理的に筋道をつけていく他は無い。
それがすなわちワークフローと呼ばれるものなわけだ。この状況では特に。
そしてワークフローが描けただけでは絵に描いたモチ、だれがそれをやるのか?を割り振って出口を目指す一歩を踏み出す、と。
さて個人的な状況を振り返る。日頃の担当業務で私は、デザインはデザイナーにしてほしいと明言していて、社内から出たビジュアルへの要望は意図に分解してデザイナーへの指示としている。たとえ「ここの文字は赤がいい」という指定でも、コンテンツ提供側に確認した意図とあわせて制作側に伝えてる。上記のフローでいうところのWeb担の領分は守ってる(頑なまでに)。それでもデザイナーからフィードバックされたビジュアルに挫折してつぶやく毎日。
そんな中、この勉強会にてフルセットのフローとタスクを詳細に紐解いてみせていただけたおかげで、改善のために自分が挑戦できる課題はまだあると学びました。
デザイナーにアートディレクションのスキルorタスク担当割がないなら、しょーがねぇオラがやるしかあんめいよ。(片山さんの資料におけるp34の再下段の心境。それにしても「お客さん、もう閉店ですよ」のキャプションはあまりにも絶妙すぎます片山さん)
そして、それは主従関係で言うデザイナーの「上流」ではなく、予算だの能力だのという事情で必要タスクをこなせないデザイナーのサポートという視点であれば「プロを差し置いて指示などおこがましい」という背徳感はなくなる。とくに社内メンバーの意識を共有したビジュアルのゴールを形成する、というタスクが外注がむずかしいなら、必要性を感じた「言い出しっぺ」が担う他あるまい。
# 勉強会後半のワークショップの中でも、とくにWebディレクターさんからの、デザインスキルの無い自分がデザイナーに踏み込んだ指示を出すことに躊躇いがあるという声を複数耳にしましたが、こういう縁の下の力持ち的捉え方ではいかがでしょう?
ま、これとて丁半どう出るかはやってみんとわからんが、もちべーしょんが湧く挑戦ではありまする。
# どうでもいいことだけど、敬語と言い切りを使い分けてます。察して(or流して)読んでいただければ幸甚。
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WebSig振り返り
- 2009年6月 8日 04:55
- 学習ログ
さて、3度目の参加となるWebSig会議。今回のお題は「ストレスフリーのWebプロジェクト ~Web担当者に出来ること、制作会社に望むこと~」だったわけですが。詳しい内容は公式の公開資料やほかの方のレポートに任せるとして、自分なりに思ったところを振り返ってみたよ。
3次会でモデレータのあやさんが話してたこと。発注者サイドの人は制作者側と接点ができてうれしいけど、そもそもWebSIgにくる発注者って"偏って"いるし、制作サイドは発注側の限られた声しか聞けなくて収穫少ないんじゃないの?って意見もあったんだよ、と。
たしかにそうなんだよねぇ。だから前回のエントリの「WebSigに来ないようなWeb担の声」ってのをもっと体系立ててもっていければよかったのだけど、なんか漠然としたまとめ方しかできなかったのがあらためてもったいなかったかも。(でも実際のところ、「MTGで居眠りすんな」とかそのレベルのもんもあって、これWebSigに来る人はできてるだろなんてのがおおかったのさ)
業種にもよるけれど、本来のWeb担の職域は、自分のような制作未満が表立って業者管理とかプロマネがどうとか言ってるレベルではなくて、マーケティング寄りとか販売戦略企画よりとか広報より、だと思うんだ。それを意識できてる人が世のWeb担にどんだけいるのかは知らないけど、すくなくとも自分の職場ではみんな無意識ながらわかってる。
そういった職域の中では、Webサイトって活用すべき1チャネルで"しか"なくて、そこにばかり体力さいてる場合じゃない。Web屋特有の進め方、特有のコトバにかまっちゃいられねぇ状況がそこにはある。
そんな中で、フジイさんのような「Web屋ヨリのコトバが通じるひと」とすらコミュニケーションギャップが生まれてしまう状況ってのが普通にあるわけで。
だって、同じようにWeb屋だって大変なんだから、Web担特有の進め方なんかかまっちゃいられねぇもん、てとこだと思う。
そんな双方の落としどころがどこにあるのかを探る第一歩、として今回の内容を吸収させていただきましたです。
頭でわかっちゃいるけどなかなかできないんだよねぇ、とか具体的にどうせいっちゅうねん、とか思う人は、まず伝えたこと/伝えられたこと を明文化する習慣から始めるのを御願いしたいな。議事録とか、メールとか、契約書とか(新しい発見でした!)、そういったもので「見える化」することで、なにが伝わってなにが伝わっていないのか、を洗い出すことができるから。心遣いをしたつもりでも伝わってない、ではもったいないから。
これはWeb屋もWeb担も共通。できる人のすべてがこれを必ずやっている訳では無いけれど、改めて取り組みたい人の基礎訓練の一つとして。
その先は、自分も引き続き折に触れ考えて行く所存。
それはそれとして、WebSigって、セミナーってより勉強会だと感じている。みんな手弁当で宿題を持ち寄って、ココはこう解くといいよ、とかおめぇコレどう解いた?みたいにプロセスを共有していく場。
WebSigという場を作ってくれてる人、そしてその場が盛り上がるようにいっぱい考えて仕切ってくれてる人、みなさまありがとうございます。
ほんでもってフジイさん、いろいろありがとうございました! ブログで紹介してくれたりまでして! ぜひまたゴハンしましょう! やくそくだぞ!
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知の構造化 = 情報の構造化はしかるべき流れ
- 2008年8月 8日 12:03
- 学習ログ
やっぱさ、とっちらかったトコにさらにモノを追加するには、片付けないといけない訳ですよ。
情報収集にフィードリーダを使うようになってから、それまでに較べて大量の新鮮な情報を集められるようになった。そして例に漏れず、追いかけるだけでお腹いっぱいを通り越して消化不良起こして泣きそうになっていたところ。
これを乗り越えるには、自分の軸足を作らなきゃ駄目だ。軸足を幹として、それぞれの記事は幹に対してどの位置関係にあるものなのかを把握して枝葉にぶら下げるんだ。そこまでは解った。
んじゃ自分の軸足って何にすんのさ?何だったら人に負けない情熱を注げるんだい?何だったら注いだ情熱を経済的価値に転化できるんだい?情報でざいんって奴かい?などと彷徨ってるうちに、これを見つけた。
UTオープンコースウェア - 学術俯瞰講義 2007「情報が世界を変える」
第1回. 大学と情報-情報が学問を変える を見終わったところ。
いいね、かなりそそられます。夢中になれることはこれの先にありそうです。
時代は進むにつれ様々な分野で研究が進み、知識はどんどん細分化されて蓄積されていく。そして蓄積のペースが人の限界を超えてしまい、氾濫を起こしてる。
知の混沌の中では、個々の知はその価値を充分に発揮できない。
そこに必要なのが「知の構造化」じゃないかというお話。
「知」も「情報」も同義。効率よく活用するには構造化は避けて通れないね。
Web屋は必要とされるスキルが大杉とか、半年程前に一瞬盛り上がっていたっけ。
そんなのWeb屋に限ったことじゃねーよてめぇらどんだけ世間が狭えんだ、って当時でも思ったね。
必要とされる知識が大杉なのもWeb屋に限ったことじゃないし、混乱を起こしてるのもまたWeb屋に限ったことじゃない。情報を活かす必要がある人すべてに共通の問題ですな。そこにタネはある...
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セミナーで聞きかたや伝えかたも学ぶ
- 2008年6月21日 14:32
- 学習ログ
これまで、講習だの会議だの、人の話を聞く場面でメモを取る習慣はなかったんだ。
なぜって、話が理解出ればそれでいいと思っていたから。
理解した = 記憶した だった。
逐一メモに取る人は、いったい何を書いているんだろうと思っていた。
そんなにたくさん新しい発見があったのかなー、とか思っていた。
そんな自分に書記をやらせると、散発的な記述しか出来ずろくな記録にならなかった。同じ会議で同じく書記を務めた人の、要点と会議の流れをしっかり押さえられた記録を見てびっくりしたもんだ。
しかし、ここ半年でセミナーだのスクールだのへ積極的に出席するようになって、変わった。
話の流れを逐一メモする人になった。
何のために? 復習するために。あとでレポートにまとめて、誰かに内容を説明出来るようになるために。
セミナーの帰りにメモを読み返し、気付いたこと・調べたいことを掘り起こして追加しておく。
そして誰かに向けてレポートにまとめる。対象の「誰か」はそれなりに具体的で、同僚だったり一年後の自分だったり。
自分では理解できたつもりでも、人に説明出来なければ無に等しいんだ。
ものを喰うことに例えると、噛み砕けたことと、消化したことと、栄養として吸収したことは違うように。
その場で理解出来ただけでは、表面的にさらえただけに過ぎず、記憶出来たかすらも確実じゃない。当たり前のように理解できたことは記憶するのをさぼるから。
そんなわけで、会議はともあれセミナー・スクールは、該当のテーマについての勉強もさることながら、人の話を聞いて自分に取込む訓練の場にもしてる。人に伝えるための資料をつくる訓練の題材にもしてる。もっと言えばプレゼンの参考にもしてる(上司に企画書通す時なんかの)。
書籍だけによる独学にはない美味しさだと実感してる次第。
それにしても、このトシで今更勉強の仕方を再確認してるなんて、昔の自分はなんとイイカゲンだったのかと...
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