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思考ログ Archive

追い風

社内調整の場では「するべき」「ねばならない」なんて口調で「啓蒙活動」して合意を得ん・予算を穫らんとする場面がままあるのだけど、本音じゃこんなどっかからの受け売りで薄っぺらい机上の空論をこねくり回すのはもう心底うんざり。

頭でっかちで力もないのに正当性があるように見せかけるために必死になってる自分が実に無様でねぇ。実践積まなきゃわかんないのにさ実際のとこなんか。

周りをほっといて自分だけ価値を感じるほうに突っ走ってしまいたくもあるけど、現実はひとりでできる事なんてホントたかが知れてて結局中途半端どまりとか。

...そして、そんな浅はかな口調で突破しなきゃなんない壁ってのも実は薄くて、あとのみんなはちょっとした追い風で同じほうを向きそうな空気を(錯覚でも)感じてしまうと、渋々ながらでもなんかしなきゃいけない気になってくるとか。

そういうときは、まず始めにチームのみんなにぶっちゃけて、自分に追い風をもらうとしますかね。翼も帆もない道ばたの石っころでも、追い風吹きゃちょっとは動くんだわさ。

この仕事、誰のためにやってるんだ?

Web担部署の主導権から離れたところで産み出されたブランドサイト・サービスサイトが複数存在し、中には載っている情報も見せ方もターゲットも何ら変わらないコピーサイトまである。そんな中で運営をまかされて成果を求められてる日々の業務。ふと気づく「この仕事、誰のためにやってるんだ?」

「Webへの情報の出し方は実営業部署が主導権を握る」「出した事によるWeb入客の成果はWeb担部署に責任がある」ここにズレがあるって事をみんなが気づくには、そしてズレを埋めるにはのはどう切り込むのがいい?

答えはあるけど、それをなし得るWeb担部署を作るのは言うほど楽じゃないな。
理想をクダまくのは容易い、けど能書きだけたれるだけで実現しない理想など不満の種でしかないぞ。

自分の所属している部署の名前は「Web事業室」。その実やっている事は「Web作業室」でしかない現状。これを覆していくのはどうする?
予算がない、教育する意志もない、権限もない、でもだからだめとは思わない。みんなやる気はあるんだよ。いま必要なのは「追い風」。誰かの動き方次第で風は起きる、それをチームにとって順風になるように風の向きをそろえられるかな?

それは表向きチームのため、その三歩くらい先にやっと自分のホントのエサがある。そんな図を思い浮かべてる今日この頃。

「好条件で受注するため」の戦略提案ならいらないよ

昨日出席したCSS Nite LP8 は、やたら内容が濃くて消化するまでに時間がかかりそうなので、とりいそぎ思ったことを書いとくよ。思考ログだからオチは無い。

最後のゴンウェブさんのセッションは、制作会社向けにアクセス解析を提案にいかそうよという内容。アクセス解析はつまりマーケティングで、市場調査による売上予想を立てるという事業戦略立案から提案できるようにすることで生き残りを図ろうよという主題だったのだけれど。

「上流から提案できるようにすることで生き残りを図ろうよ」というのは、分野に限らずおそらくある程度以上の事業では普遍的に言われることなんだろう。間違っちゃいないしぜひそうなってほしいけれど、捉えられ方によっては落とし穴が見えるなぁ。

一人のデザイナーがプロデュースからアートディレクションから実制作からすべて作れる(=責任とれる)規模って限度がある。それを人単位ではなく会社単位で考えるとどうよ? 一つの会社で責任負おうとすると図体でかくなるよね。

事業会社が「Webでこれこれしたいんだけど」と立ち上がったとき、これこれが広告展開であれば広告代理店に持っていくけれど、目的が曖昧もしくは事業展開よりだとなぜか「Web屋」に持っていく。そもそもそこに歪みがあるのではないかな? スジで言えば適切な窓口はWeb事業コンサルとかなのではないのかな?

窓口になる「Web屋」がインテグレーターであればいいけど、制作主力のとこが事業戦略の相談を直に受けたとしても発揮できる力も限定的でしょ。そこの区別が曖昧なままなのはやがてお互いの首を絞めるような。

「ほーむぺーじを作る」仕事がディレクションとデザインとプログラムとコーディングに分業して成果物の精度が上がっていったように、Webサイトが果たす役割が「ほーむぺーじがあること」だけでは済まなくなって上流を巻き込んだのなら、そこもやはり分業して精度を上げる流れになるよね。(実際そういう体制とってるとこもあるし)

そこで大切なのが、発注->受注という階層構造ではなくて協業体制をとれるかどうか。
自分の職域しか知らないと受け身(受注側)にならざるを得なくなってしまうから、隣接する職域(この場合は上流)を兼務できるくらいには把握しておこうよ、って言うのはコーダーでもプログラマーでもデザイナーでも同じじゃないかな。ディレクターという役割にはプロデュース力も求められ、プロデューサーにはビジネスコンサル力が求められ、とか。

これを頭に置かずして「より良い条件で」「受注をとるために」上流から提案してみようという短絡思考ならご勘弁ねがうよ。請け負うならその提案に責任とれる力がついてからにしてねとしか。fujii_yujiさんのこの辺この辺に同意。

ゴンさんが伝えたかった主旨とずれてきたので打ち止めにしとく。ゴンウェブさんのセッションは正しく吸収させていただきましたので念のため。
自分としては、できれば無理して兼務しないでコンサルとの協業で提案してほしいなとか。戦略立案をWeb制作受注のおまけにしないで、戦略の重要性の認知に重きを置いてほしいとか。その辺を曲解されたくないテーマだったなと。

裾野を広げるために肩書きを細分化するとか

混沌とした体制の中で役割分担が曖昧な状態だと、分野として特化しづらい...つまり発展しづらいんじゃね? とおもう。

勤め先の各部署のWeb係が寄せ集まってWeb担部署が出来上がって。
最初は誰が何を担当するとかでもなく余力のあるやつが転がってる仕事をこなしていく感じだったのが、そのうち各個人が興味のある分野に注力していくうちに得意分野ができてきて。じゃこの辺の仕事はこいつに特化してやらせようぜっていう流れができてきて。やがてそれぞれ分野の経験則が整理されてきて、互いに共有できるか新入りに伝授できる程度になってきて。

上司が指揮した訳でなく実に自然な流れでこうなってきたんだけれど、これが個人全方向守備のままだと、経験則の整理がアマいなあというか。新入りに伝えづらいんだよね。
「誰に聞いても微妙に違うことを言うんだけどどうせいっちゅうんだ!」となる。

自分にとってIAだのUXだの非常に興味があるのだけど、いまの立ち位置からだとこういった混沌の向こうで高度なやり取りがされているように見えて、とっつきどころがないんだよねぇ。ものすごく面白そうなあの渦の向こうに手っ取り早く入るにはどっから潜り込めばいいんだ?という戸惑い。

それはまだまだ開拓中の"枯れてない"分野だろうから当然なのだけど。
分野の重要性を一般に認知させるには、自分みたいなレベルが抵抗なく入り込める程度に裾野を広げにゃなるまいと。そのためには、経験則を整理して伝授できる程度に"枯れてきた"ところを、混沌の外に出してやらにゃなるまいと。
そのためには分野の細分化とか肩書きの細分化ってアリだとおもうのです。やってる事とか中の人とかがかぶってようがわりとどうだって良くて、裾野を広げるためのわかりやすい入り口としての細分化、とか。

いち外野の意見ですが、どうかしらん。

アタリマエを洗い直すと新しい発見があるんだね

Webサイトでも紙媒体でも、グラフィックの構成やパーツのビジュアルを練っている時に、「現実世界に喩えると何?」を暗に考えてることに気がついた。
「このタイトル画像は売り場でいえば生鮮コーナーにある看板。」とか「ここのカットイラストは試食販売やってるおねーさん。」とか。

話の理解を深めるためにたとえ話を用いるように、言葉じゃなくても比喩はじゅうぶんに有効な手段。 Webサイトにしても、クリックさせるための画像を「ボタン」と呼ぶのが普通に通用するのだから、世間的にごくごくアタリマエのことではある。

しかしふとしたきっかけで、あらゆる場面で無意識にこういった切り口で考えている自分に気がついた。これをふまえて、以下のように自分の中に明示的に再定義しちまえと考えた次第。

  1. まず、ビジュアルに限らず何か企画の素案をふくらます時でも、「喩えるならば何?」を10個あげてみろ! を自分に課してみるべし。
  2. そしてそこで止めずに、10個出されたたとえ話の共通点を探って、よりコトの源流に迫ってみるべし。
  3. そこから、ありきたりじゃないけど突飛でもない、新鮮な切り口を探ってみるべし。

そしてここで気がつくことが一つ。この思考回路の一つ一つは、普段の自分でもアタリマエにやってることだ。喩えてみるとか、コトの源流を探るとか。
それを結びつけて流れを明示的に作ることで、隠れてた"自分流"が見つかりそうだ。あいまいだった"自分流"に迷いがなくなれば、行動に勢いがつく。
迷いに迷って勢いがなくなってる自分にとっては、明るい発見。

ゴタクはともかく走れって?

ううう、成果が出ない。
畳み掛けるようにマイナスの状況が押し寄せてくる...。

かなり自信喪失中。
やっぱりAll or Nothing な思考がいけないのか?
結局そもそも論をクダまくことしかできない無能なのか?

All or Nothing ではあるが、マイナス思考ではない。
ゴールが見えさえすれば遠回りしてでも前進はさせる。
でも、ゴールが定まってないと走れないってのはある。

前が見えなくともとにかく闇雲にでも走り出すべきで、途中で何度でも180度回転できるくらいの柔軟さがあればいいのか?
きっとそういう奴のほうが、ビジネスに向いてるんだろうさ。無駄もするけど稼ぎもするんだろうさ。

遠回りできるだけの柔軟さはもっているから、そもそも論に反してて道のりが見つけられなくても、途中で180度回転できるだけのバッファを見越して走り出せばいいってことか?
とすると、結果的に2倍3倍走ることになったとしても、走り続ける体力が重要ということになる...

...うーん、根性論だな。
体力がないからこそ明日の楽のために今日夜なべでシコミをしとく、ってタチの自分にゃついていけんわ。
どうしたもんかねー。環境によるのか?

デザインの検討履歴は逐一残そう

プレゼン資料とかサイトの記事とかに入れる、ちょっとしたイラストやチャート図などなんかを作るとき、どうも散々あーでもないこーでもないをして時間を浪費してしまう。
完成度にこだわる性分なので、一つのものをこねくり回して会心の一撃ってのを生み出さんと探し求めてしまうんだね。

我ながらこれ、よろしくないと思っている。
あーでもないこーでもないをするのが悪いのではなく、その過程を残さないのが悪い。

例えば「ここに円のモチーフを使ってるけど、四角のほうがよさそうかも」なんてのをやるとき、円のヤツをちゃらっといじって四角にしてみてしまう。円のヤツが残らない。

残さなきゃ駄目なんだ。
円のヤツはとっといて、複製したヤツで四角のパターンを作る。
四角のヤツを複製して、フォントを変えてみる。
それをまた複製して、線の幅を変えてみる。
それをまた複製して...。

そして行き詰まったところで、誰かにこれを全部見せて反応を見る。

自分がいいと思うか思わないかを問わず、ありきたりだろうが奇抜だろうが、ともかくあらゆるパターンをひねり出してまず視覚化するって訓練が必要だと思うんだ。この時点で完成度は気にすべきじゃない。
せいぜい、人に見せて意図が伝わる程度の荒さでいいんだ。

これが出来るようになったら、時間あたりのアウトプットが増えたような気になれるんじゃないかな!

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